合コンわらしべ長者 ~30歳からのオトナ合コン~

どこにでもいる普通の男が、合コン1000回で得たものとは?

合コンには「つくべき嘘」と「ついてもいい嘘」があるんです

いつもとは違う服をその身に纏い、普段はつけないフレグランスを漂わせ、言葉遣いやその振る舞いも、すっかりよそゆき。素敵な出会いを期待して、男性女性それぞれが、それぞれの思いを胸に合コンに臨みます。

 

たくさんの合コンに参加して、つくづく感じること。

それは、合コンは「化かし合い」そして「騙し合い」だということ。

 

でも、そんなことはみんなわかっているんです。

みんな、「相手からよく見られたい」「よく思われたい」と思うがゆえに、多少なりとも「嘘」をついている。

 

私わらしべは、合コンの様子を見ながら、時々「シンデレラ」の物語を思い出します。

 「継母とその連れ子である姉たちに日々いじめられていたシンデレラ。ある時、お城で舞踏会が開かれ、姉たちは着飾って出ていくが、シンデレラにはドレスがない。舞踏会に行きたがっていたシンデレラは、魔法によって素敵なドレスを纏い、馬車に乗って舞踏会へ。そして、その舞踏会で、シンデレラは王子に見初められる。その喜びもつかの間、午前零時に魔法が解けてしまうことに焦ったシンデレラは階段に靴を落としてしまう。王子は、靴を手がかりにシンデレラを捜し出し、妃として迎えられる」というお話です。

 

時々、明らかな普段着で合コンに参加している女性、そして男性がいますが、なんて残念なことをしているんだろう、と思います。

 合コンにはドレスコードなんてありません。

しかし、実際のところ、いつもよりは「ちょっとイイ感じで」が暗黙の了解でしょう。

 

ただ、普段着で合コンに参加している人たちの言い分もわかるんです。

「私はありのままの自分で勝負!」とか「どうせすぐバレるんだから、取り繕ったってしょうがない」とか。

 

しかし、果たしてそうでしょうか?

大事な視点が抜け落ちている、と私は思います。

 

合コンというのは、いわば日常の中での「ハレ舞台」。

仕事ではありませんが、初対面の人もいるわけですから、それなりにきちんとした格好で会うのが「大人のマナー」なのではないでしょうか。

つまり、そういった場所へ普段着でやってくるというのは、一般的な常識をわきまえてないと判断されかねず、せっかく厚意で誘ってくれた幹事の方にも失礼です。

 

生まれながらの容姿については努力にも限界がありますが、身だしなみや振る舞いについては、どうにかできること。それは本人次第なんです。

 そのようなハレの場に、自分本位な思いだけで参加するということは、協調性や社会性も疑われかねません。

 

さらに、もう一つ。

 普段着のままで合コンに参加したとしたら、その後会う時も普段着である可能性が高く、さらに性格や人間性についても、合コンの時と同じでは、そう思われがちです。

 そこには意外性もギャップもありません。

つまり、「ギャップ萌え」なるものまで、最初から放棄しているようなもの。

 

ギャップはともかく、意外性というのはとても大事です。

 合コンで普段の姿をさらしてしまえば、それ以上その相手を知りたいとはなかなか思えません。

 「その飾らない姿がいいよね」とは、あまりならないのです。

 

シンデレラの話だってそうです。

 もし、シンデレラがいつものボロボロの服で舞踏会へ行っていたとしたら、果たして王子に見初められたでしょうか?

 「私は心がキレイだから、絶対に王子に見初められたはず」とシンデレラは思っていたのでしょうか?

 

私は、違うと思います。

 シンデレラも、舞踏会へ行くなら、きちんとした装いでないと失礼にあたるという考えがあったのではないかと思うのです。つまり、空気を読めていて、社会性もあり、なにより礼儀をきちんとわきまえていたのではないでしょうか?

 「このようなみすぼらしい服では舞踏会には行けない」といって家にいたシンデレラの姿が、なによりの証拠です。

 

ここで改めて、合コンにおける大事な「お約束」。

合コンは「化かし合い」そして「騙し合い」と言いましたが、それは「魔法」という言葉に置き換えてもいいでしょう。

 

合コンは「化かし合いの時間」ではなく「魔法の時間」。

 

シンデレラの物語になぞらえると、合コン会場となるお店は「宮殿」であり、宮殿の一室で行われる、合コンという名の「宴(うたげ)」に招かれたのは「選ばれし者たち」なのです。

 

「かわいい」とか「かっこいい」とか「お金持ち」とか、そんなことに関係なく、その宴にいるのは、運命に導かれし、選ばれた者たちなのです。

合コンという名の「魔法の時間」の中で、みんながそれぞれに、その宴を楽しまないのは「無粋」というもの。

 そして、その宴を盛り上げる重要なアイテムの一つが、お世辞という名の「嘘」。

 

「嘘も方便」という言葉があります。

意味を間違って使っている人も多々おられるかもしれませんが、実際は相手のことや相手のためを思ってつく嘘のことをいいます。決して、自分の欲望や利益のために使う言葉ではありません。

 いろんな嘘があります。

楽しい嘘、嬉しい嘘、面白い嘘、愉快な嘘などなど。

 

その「魔法の時間」で、男女みんなが楽しめるための「嘘」をどんどんついてください。

「お世辞」という名の嘘で、相手を褒めて褒めて褒めちぎる。

お世辞だとしても、褒められて気分を悪くする人はいないでしょう。

相手を悦ばせ、そして自分も愉しめるのがオトナであり、オトナ合コンです。

 

ただし、魔法はいつか解けるもの。

そして、それは突然やってきます。

 

合コン、一次会はだいたい2時間ほどですが、もし、すごく盛り上がったとしても、二次会へ行くのはあまりおススメしません。

 盛り上がってるのに??と言われそうですが、だからこそ、解散することを勧めます。

 

楽しい時間は、それほど長くは続きません。

「魔法にかけられたかのような素敵な時間」であればあるほど、それは尊く儚いものです。

 

みなさんも経験があるのではないでしょうか?

 最初は凄く楽しかったけど、だんだん話すこともなくなってきて、会話が途切れがちになり、最後はつまらなくなってしまった、みたいなことが。

 あと、凄く美味しいものを食べていたのに、どんどん食べ続けたら、見るのもイヤになった。とか。

 

楽しい時間も、美味しいものも、「あと少し」という気持ちがある時に止められるからこそ、楽しいまま、美味しいままの余韻が残って、「もっと一緒に時間を過ごしたい」「もっと食べたい」になるのです。

 

魔法が解けそうになったら、名残を惜しみつつ解散。

そうすることで、次へのそれぞれのステップを進めやすくできるのです。

 

合コン解散後、「魔法の時間」は終わりますが、そこでもし、あなたの前にガラスの靴があったなら、するべきことはわかってますよね?

今度は、あなたがその女性の本当の姿を知るときであり、あなた自身をもっともっと知ってもらうときです。

 

その先にあるのは「魔法」ではなく「現実」。

嘘ではない、本当の姿です。

 お互いが、まだ慣れないうちは、それぞれが、相手に「素敵な魔法」をかけようと頑張るかもしれません。しかし、その魔法もいつかは解けるでしょう。

 

でも、そのありのままの姿を素敵だと思い、愛おしく思える相手と出会えたとしたら、魔法なんてもう、必要ありませんよね。

 あなたの言葉、あなたのしぐさ、そして彼女の笑顔や、彼女の声、そのすべてが魔法なんかよりもっと強く、それぞれの心に響き、そして心を震わせるはずです。

 そこに初めて「真実がある」と私は思います。

 

2019年最後の今日、午前零時まで、あともう残りわずかです。

 

まだ、いい人に出会えていないあなた。

 女性の方は、くれぐれも「ガラスの靴」を忘れて年を越さないよう。

男性の方は、「ガラスの靴」を見落としていないか、きちんと確認してから、新しい年をお迎えください。

 

みなさま、よいお年を。